上手くやろうとするから上手くいかない

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※ ブログからの転載です。

上手くやろうとするから上手くいかない

上手くやろうとするから上手くいかない。
そのことをこの夏、幼稚園の甥っ子が、自分の名前をひらがなで書く練習をしているのを見ていた時に気付かされた。

まだ5歳である彼は、僕、妹(彼の母親)、そして母(祖母)が見ている前で、居間の少し大きめな机の上に広げられたノートに自分の名前を書こうとしていた。

正直なところ、上手く書こう、きちんと書けるところを僕達、大人に見せてやろうという気持ちがあったのかどうか定かではないけれど(そうなのかと尋ねたわけではないので)、いつもと違い、明らかに鉛筆をもつその小さな手は真っ赤になり、力が入りすぎていて、ノートに途中まで書かれた箇所は穴が空きそうで鉛筆の芯は折れそうだった。

練習だから少しでも上手くやろうという向上心が芽生えるのは当たり前だが(上手くなるための練習だから当たり前だ)、たった5歳の子供でもいつもと違う環境(普段は彼の母のみ見ている状態)だとあんなにも力が入るものなのだと正直驚き、そこで僕も全く彼と同じ、いや彼以上じゃないかとはたと気付いた。

お客様や、プレゼンなど人前で何か説明するときなど、僕も上手くやろうと思いすぎて緊張し、力が入り、言いたいことなどが全て言えなかったことの方が殆どじゃないだろうか。

普段道を歩くのに緊張もしなければ、余計な力も入らないのと同じように、特別な場面でも場数を踏めば慣れてきて、緊張もせず、力みすぎず、自分の思ったように出来るのだろうとは頭の中では分かるのだが、もし仮に、100人のオーディエンスが見ている中で、一人50メートル歩いて下さいと頼まれたら、緊張し、力み、変な歩き方になるだろう(右手と右足が同時に前に出るような…)。

でもそういう場数を踏めない場合はどうするのか。

もうこれは上手くやろうとしない。決して練習やそこに至る準備を疎かにするというわけではなく、いい格好しようとしない、普段通りの力を出すことさえ困難になるかもしれない場面で、最低限これだけというものを考えて、もしそれが出来なくてもそれはそれ、しょうがない、なるようにしかならないと楽観的に考えるぐらいな方が僕にとってはいいのかもしれないと今は思っている。

ちなみに僕は子供の頃から人前でかなり緊張するほうで、身体中から汗は吹き出し、ガチガチに固くなり、時に手は震え、やりたかったことが出来た試しがない。

そんな人間が、よく社会人までラグビーをやっていたもんだと半ば自分自身に呆れるのと同時に少しだけまぁちょっと頑張ったんだなとも思えるのが救いかもしれない。

しかし、こうやって昔のことを思い出すだけで、誰もいない部屋でキーボートをタイプしている手が今、少し硬くなっている自分に驚いているのだけれど…