
2015年の2月にFacebookをやめて、約1年半になります。
こんなことを言うと、Web制作に携わっている人間が、Facebookは仕事で必要だろう、大丈夫か?と思われるかもしれませんが、それは全く大丈夫です。
正確に言うと一旦退会して、新しくアカウントを取り直し、友達などは誰もフォローせず、企業やサービスのFacebookページのみフォローしています。
アカウントを取り直した直後はフォローしていた企業やサービスのFacebookページも見ていたのですが、最近は仕事上必要になる時以外、企業やサービスのFacebookページでさえ見ることが無くなりました。
私がFacebookを始めたのは2007年ごろで、オーストラリアにいた時通っていた学校のクラスメートからの招待でした。ですので日本では意外と始めるのは早い方だったのではないかと思います。
当初は日本に帰ってきて音沙汰のなかった友達と繋がれて、気軽にメッセージのやり取りが出来るのがとても嬉しかったのを覚えています。
では、何故やめたのか。
それは、時と共に繋がりも徐々に増えてきて、知りたい友達の情報だけでなく、知らなくてもいい、知る必要のない情報を目にするようになり、段々とそれが鬱陶しく思えてきたからです。またこれは自分で投稿することはほとんどない私にとってかなりのストレスにもなりました(全くと言っていいほど自分からFacebookには投稿したいとは思いませんでした)。
鬱陶しい反面、いい暇つぶし、そして自分の中の何かを刺激する中毒性のようなものがFacebookにはあるようで、仕事中でもはっと気付くとMacのFacebookのタイムラインを眺めていたり、寝る直前までベッドの上でiPhoneでFacebookを見る。夜中ちょっと目が覚めた時でも、眠い目をこすりながら、わざわざiPhoneを手に取りFacebookを覗き、朝、目覚めたと同時にまたFacebookを見るというFacebookと共に生きているような生活に、自分自信心底嫌気が差し、平日は1日のほとんどをMacかiPhone、たまにiPadで仕事をしているという私は、退会することに決めたのです。
そして退会した今、約1年半Facebookのほとんど無い生活は、それはとても快適です。数分ごとにiPhoneを覗き込んでFacebookを見ていた以前の私が嘘のようです。
友達との繋がりという観点では、以前より少なくなり寂しい気持ちも少しはありますが、デメリットはそれぐらいで、やめて精神衛生上とてもよかったと思っています。今後のことは分かりませんが、仕事以外では私個人では多分このままででいくのではないかと思います。
人間は社会的動物ですから、繋がっていたい、属していたいと思うのは本能だと思いますが、Facebookをしていることでストレスを溜め込まれているならいっそのこと退会もいいと思います。でもこれが難しいんですよね。中々踏ん切りがつかない。私はそうでした。そして何故かTwitterは気楽に出来るんです。繋がりの密度、距離感が私には丁度いいのかもしれません。
たかがFacebook。そんなことを言ったらFacebookの中のひとに怒られるかもしれませんが、ストレスを溜め込むまで無理をしない。もっと頑張るところは他にいっぱいあるはずです。